No. |
名称 |
内容 |
1 |
2代将軍徳川秀忠公
誕生の井戸 |
秀忠の産湯につかったと伝えられる井戸の跡。 |
遠鉄・新浜松駅から「西鹿島行」乗車〜約5分〜「遠州病院前駅」下車 ⇒ すぐ西側。 |
浜松市中区 |
2 |
椿姫観音 |
徳川家康が、引間城を攻撃したとき、この城と運命をともにし討死にした豊前守の室(妻)を葬ったとされている塚、御台塚が、椿屋敷という辺にあった。ここに御台塚の伝説が残こされている。
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JR浜松駅バスターミナル12番のりば、「内野台」線乗車〜「元浜町」下車 ⇒ 徒歩約10分。 |
3 |
東照宮(引間古城址) |
引間城跡にある権現様を祀る東照宮(明治19・1886創建)。
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JR浜松駅バスターミナル12、13番のりば乗車〜約10分〜「浜松城公園入口」下車 ⇒ 徒歩約10分。 |
浜松市中区元城町 |
4 |
浜松城 |
徳川家康公が、元亀元年(1570)から天正14年(1585)の17年間居城した。現在の浜松城は昭和33年(1958)4月竣工の鉄筋コンクリート三層三階地下1階の復興天守閣。 |
JR浜松駅バスターミナル13・14番のりば乗車〜約10分〜「浜松城公園前」下車 ⇒ 徒歩約5分。 |
浜松市中区元城町100-2 |
駐車場:85台(鹿谷駐車場107台) / 大型:5台(要予約) |
5 |
家康公鎧掛松 |
元亀3年(1572)、徳川家康が三方原合戦より帰城し、休息し、鎧を掛けたと言われる松。元は浜松城内包丁堀のそばにあったとされている。現在の松は三代目である。
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JR浜松駅バスターミナル1、13番のりば乗車〜約10分〜「市役所前」下車。 |
浜松市中区元城町103-2 |
6 |
本多肥後守忠真の碑 |
三方原合戦の最中、果てた本多肥後守忠真の碑。本多平八郎忠勝の叔父。
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JR浜松駅バスターミナル15番のりば乗車〜約15分〜「さいが崖」下車。 |
浜松市中区布橋 |
7 |
犀ヶ崖古戦場 |
「岩角に 兜くだけて 椿かな」 大島蓼太の句碑がある。
三方原合戦で大敗し、夜営戦に入った。徳川勢はこの辺りの地形を利用し崖に布を架け、橋と見せかけ武田軍をみちびきいたと伝えられる。 |
JR浜松駅バスターミナル15番のりば乗車〜約15分〜「さいが崖」下車。 |
浜松市中区布橋 |
8 |
夏目次郎左衛門吉信の碑 |
三方原合戦の際、家康の身代わりとなって討死した家来の碑。家康の馬を浜松城に向け、刀のむねで馬を走らせた…云々の話は有名。 |
JR浜松駅バスターミナル15番のりば乗車〜約15分〜「さいが崖」下車。 |
浜松市中区布橋 |
9 |
広沢山普済寺 |
曹洞宗の古刹。
三方原合戦の時、戦略上家康の命で炎上と。 |
JR浜松駅バスターミナル15番のりば乗車〜約15分〜「鹿谷町南」下車。 |
浜松市中区広沢 |
10 |
高松山西来院 |
家康の正室、築山御前の墓碑が残る。藤の寺として知られている。 |
JR浜松駅バスターミナル2番のりば「医療センタ」行乗車〜約15分〜「広沢1丁目」下車 ⇒ 徒歩。 |
浜松市中区広沢 |
11 |
宝蔵山宗源院 |
同寺本尊・虚空蔵菩薩は、家康の守護仏であったと。 |
JR浜松駅バスターミナル2番のりば「医療センタ」行乗車〜約15分〜「広沢小学校」下車。 |
浜松市中区蜆塚 |
12 |
浜松市博物館 |
原始から近代まで浜松地域の歴史資料を紹介している歴史系博物館。国指定史跡の縄文時代貝塚「蜆塚遺跡」に隣接している。
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JR浜松駅バスターミナル2番のりば「蜆塚佐鳴台」行乗車〜約20分〜「博物館」下車。 |
浜松市中区蜆塚 |
13 |
太刀洗の池 |
徳川家康の正室・築山御前が生涯を終えた地と伝えられている。 |
JR浜松駅バスターミナル2、3番のりば「医療センタ」行乗車〜約25分〜「医療センター」下車。 |
浜松市中区富塚町 |